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こんにちは〜

うひょ〜

初夢は覚えてないけど(結構ろくでもない夢だった)今朝見た夢は覚えてる。母と見たことない家にいた。私は白地にピンクと赤のハートが重なった模様のTシャツや(昔、小学生くらいの頃実際に持っていた服に酷似している)オレンジベースに滅茶苦茶な模様が入った(y2kセンスによる90年代解釈って感じの)Tシャツを畳んでいた。昔小3くらいのときに着ていた、Betty's Blueの服に似ていた。ベティーズブルーってまだあるんか?後で探してみよう。

夢には母しか出てこず、私は母の家にお邪魔してるのか二人暮らしなのか、そんな感じだった。トイレに入ると何故か赤めの木材をふんだんに使用し苔とか植物が置かれているムーディな空間になっており、手元のライトスイッチを押すと苔が照らされつつモウモウと加湿器からスチームが出てきた。何の意味があるんだこれ、と半笑いになっているところでゆっくり夢だと気づき、起きた。

まず子供の頃着ていた服が鮮やかにありありと登場したことに驚いた。確かに私は子供時代服にすごく執着とこだわりがある奴だったけど、流石に小学生の時の服は記憶の片隅に追いやられてもう消えてると思ってた。でもなんのコンテクストもないのに、この夢でいきなりはっきりと色合いや質感を思い出した。「人は一度あったことはずっと覚えている、思い出せないだけで」っていうのは千と千尋に出てくる言葉だっけ?

そしてライトと共に謎にスイッチオンされる加湿器にも、母の性格を思い出して懐かしく感じた。母はよく家でそれ意味ある?みたいな装飾品を飾っていた。チンパンジーとかコアラのぬいぐるみとか。費用対効果でものを考えず、ただ感情の赴くままに決断し購入するのだ。

もし現実で似たようなことがあったら、私は「またか。この人のこういう性質のせいで今までどれだけ私が不利益を被ったことか⋯」と、過去あった母との嫌なこと、それによって失われた私のチャンス等々を思い出してウンザリするだけだろう。実際、私が中高生の頃の母は下らない装飾やアンティークの調度品コレクションにばかり金を使い私には全く投資してくれないので私はいつもみすぼらしく、情報にも疎く、また何のチャレンジもできず、何の能力も伸ばせなかった。わたしのみすぼらしさといえば友人にもお前って貧乏なの?と聞かれるほどだった。真相は、別に貧乏ではないけど親が私に金を出したくないだけ、大切にされてないだけだった。そんなこと恥ずかしくて誰にも言えなかった。

しかし夢の中の私はそういう屈折した思いもなく、またこういうことしてるよ、と自然に笑っていた。

目が覚めてベッドの中でぼんやりしながら、トイレを加湿することの意味と、拗れてしまった関係や行場のない感情について考えていた。

 

夢は不思議である。私はあまり怖い夢は見ないが、嫌なことを思い出させる夢は偶に見る。今までこのブログにちょこちょこ書いてるような個人的に面白!と思う夢もよく見る。そして赤ちゃんを持つ夢や今回の母に対して屈託なく笑うような、現実では諦めてしまっていたけど本当はこうだったらよかったのにな、という夢も偶に見る。どうしてだろう。

 

わたしは親と連絡を取らなくなって6年目になる。モラハラや暴言、暴力でコントロールしようとされ、自分の人生を生きることを阻害されてきたことに耐えられなかったから、それを伝えて関係を切った。そうすれば、今まで積もり積もった怒りで親に暴言を吐いて嫌な人間になってしまうことや、延々と下らない言い争いをしたり、高卒で努力しない自分を棚に上げて環境を恨んだり他人に嫉妬して貶める発言ばかりしてチンケな自尊心を慰める恥ずかしい人間が自分の実親であるという事実から逃げることができる。万が一間違って親を殺したりしてしまう可能性もなくなる。だから縁を切ったことは私にとって必然であり長年の計画であり、パーフェクトな選択だった。

でもこれで良かったのかな?とも偶に考えてしまう。それがこんな日である。あのオレンジのTシャツ、ベティーズブルーで買ってもらったんだよなあと思い出す。ベティーズブルーはエンジェルブルー程ではないけどちょっと高い。エンジェルブルーの服は八千円〜一万円くらいで、ベティーズブルーは五千円くらいだ。私は服が好きで、母はららぽーとバーゲンの時だけたまにブランド服を買ってくれた。

親は私を愛してなかった訳じゃないと思う。小学生まではそんなふうにある程度お金をかけてもらえたし、言い分もたまに聞いてもらえた。明らかにうまくいかなくなったのは中学生以降だった。

 

今考えると、小学生のような「the 子供」ではない子供との関わり方が分からなかったんじゃないかと思う。小学4年生までならどんな大人でも適当にいなして誤魔化しながら扱える気がするが、思春期になるとやはりそれなりに考えや振る舞いが成熟してる人間じゃないと、彼らと適切に距離を取りながらコミュニケーション取ることは難しいのだと思う。社会人として生活してるとわかるが、後輩のタスクを全部自分で肩代わりしてしまう方が、思考方法を導いたり自立して活躍できるようにサポートするよりも楽だ(でもめちゃめちゃ良くない)。それと同じで、思春期の子供は彼らの人格を認めながらサポートする方が難しい。

元々母は祖母に甘やかされて育ち、自立したこともなく精神的に未熟だった。自分の子供が成長して「可愛い小さい子供」で済まなくなると手に負えなくなり、役割放棄したのだと思う。(実際母は学生の頃犬を購入したが自分で面倒見きれずに祖母に押し付けた世話させていた実績があり、無責任さはそこで証明されているw)これは現在の関係の理由として私が考えている仮説その1だ。

仮説その2は何かの病気か脳機能低下だった説。私が高校生に上がった頃くらいから、昔と比べても異常に記憶力や思考力が落ちていた気がするので、若年性アルツハイマーとかだったのかなとも思う(その後劇的に痴呆になってしまったわけではないので、ゆっくり進行するとか少し症状がある状態が何年も続くようなアルツハイマーがあったらそれか⋯?ちゃんと調べてないので不明)また自分でもアスペルガー気味なのを自覚していたようで、本当にそういう脳機能や性質として所謂普通の母親としての振る舞いが出来ない人だった可能性もある。

 

まあ振り返って色々考えられることはあるが、なんにせよ結果母親が役割を放棄し関係性が長い事悪く、最後まで修復されずに決別に至ったという事実は変わらない。絶縁は私自身何度も考えた結論なので、今更ああすればよかったとかやっぱり切ったのは間違いだったとかは思わない。相手に変化を求めることも、自分が考えを変えるとか何かしらの対策することも全く無意味だったとも思う。

 

でも、夢で見て感じたような「本当は普通に仲良くしたかったな」という感情だけは行き場がない。母の意味不明な行動が時としてシュールで笑えたんだよな、なんてささやかな感情は、こじれて失墜した信頼関係の前では何の意味も為さない。

 

DaftPunkのFace to Face という曲に、"all because, hoped that you'd be someone different"というフレーズがある。学生の頃聴いてからずっと心に刺さったままだ。

私は親がありのままで存在することを拒んで、「こうあってほしい」と駄々をこねているだけなのだろうか。彼らが彼らであることを認めることが出来ない心の狭い人間なのだろうか。でも彼らの言動に随分苦しめられて来たのだから、自立した今は自分の心の平和を保てる形態(絶縁)を取っても良いのではないかと思う。それとも世の皆さんも、私と同じくらい家族の性格や言動に苦しんでいるのにそれでも関係を続けているのだろうか。そんな害のある関係をmaintainする必要は本当にあるのだろうか。家族ってなんなんだろう。

とりあえず今後私が深く関わる人は、私の実親のように私を虚しい気持ちにばかりさせないひとであってくれと願う。そうだ、だらだら書いてきたけどぴったりな言葉が既にあった。「虚しい」だった。